8月12日、主人とディズニーシーへ遊びに行った。ディズニーランドと大阪のUSJには既に行った事があるせいかもしれないが、両方共、似ている所が多く、あまり面白いと感じなかった。正直、死ぬほど辛い暑さの中、旅行やら、遊びやら考えたくもなかった。ただ毎日冷房の部屋の中で、本を読んだり、ネットで映画を見たりするだけで十分満足するのだと私は思った。でも、行く前に、早めに横浜まで行って、チケットを買ってくれた主人にその気持ちを伝えなかった。もじもじしていたが、結局一緒に行くことにした。もし主人に何か文句とかを言ったら、「せっかく喜ばせたのに、情けないね」ときっといわれるだろう。
二日後の14日、主人がまた誘ってきた。「ね、海に行こうか、せっかく海の近くに引っ越してきたからさ。」私は時計を見ながら、「もう10時過ぎたよ、行きたかったら、もっと早く計画しないとさ…いつも突拍子なことを言うよね。」と呟いた。そうすると、主人が「せっかくの連休だろう、計画しなくても、電車に乗って、ついたら、すぐ水泳も出来るし、行こうよ。」と説得しようとした。そうか、そう言えば海水浴か!そのとき、私は思わず頭の中に青空、海、フェリー、貝殻を拾うちびっ子の姿などどんどん浮かんできて、心もうずうずしちゃった。もう何年ぶりの海水浴かしらと必死に昔の事を思い出そうとしたが思い出せなかった。「まあ、いいわ、行ってみようね。」と主人に頷いた。水着をバッグに入れて、二人は電車に乗った。目的地――江ノ島。
約30分後、目的地の駅に着いた。江ノ島は海水浴がとても人気があるらしい、それに毎年観光の目的として尋ねてくる各地の客も数多いみたい。早々に、海水浴場に着いた。水泳、サーフィン、日光浴、ビーチバレー、あらら、老若男女だれでも楽しく賑わっているような風景だった。でもここはまだ島ではなかった。ここから更に何メートル先と離れた橋を渡れば、島に行けるそうだ。島へ行くのは海に飛び込んで遊んでから後の事にした。

ビキニ美女たち
そのとき!水着を着替えに行くとき、私は急にある極めて“深刻”な問題に気が付いた。周りを見ると、ビキニ水着を着ている女性がほとんどであった。海で遊んでいる人も、ビーチで日光を浴びている人も。私は諦めようとしない、迅速に眼球を回して、ビキニじゃない水着を着ている人を探し始めた。果たして、二、三人のおばさんみたいな人がワンピース水着を着ていたが、ほかの女性はみんなビキニを着ていることに気が付いた。私はあまりにもビックリしてしまった。まさか日本の女性は海では、ビキニしか着ないと思わなかった。何年も海へ遊びに行かなかった私は中国の現状をよく知らない、けれども、その時急に自分がもう時代遅れになったということに気が付いた。私が持ってきた水着は二年前にトレーニングするために買ったセパレーツの水着であり、あの時は室内の温水プールで、練習するためだから皆は比較的に素朴な水着を着ていた印象があるが、二年後の現在、場所が変わって、雰囲気が全然別となった。こんな著しいコントラストなんて、信じたくなくても信じるしかない。日本人が性的方面ではたくさんの国と比べてかなりオープンになっているということがこの何年間の仕事と生活を通じて、もう聞きなれたり、見慣れたりしていたと思ったが、やはり、まだまだ知らないことが多いなあと深々感じて嘆いた。一人だけがあのセパレート水着を着て、ビキニばかりを着ている女の群れに表れ、そして皆に不思議そうな目付けをされるなんて、どれだけ勇気がいるのかしら。そのとき、周囲から振り向く確率がいくら高くなっても、うれしくないだろう、逆に強いショックを受けるように感じるしかないでしょう、と私はそう考えていた。結局、水泳をやめることにした。幸いに、半ズボンとサンダルを着てきたので、砂浜で海風と波のしぶきを感じているうちに、心地よくて愉快となった。主人が近くのマックでハンバーグセットを買ってきてくれた。疲れたので、二人はシートに座り、ハンバーグをたべながら、冷たいコーラーも飲んだ。あまりにもよい気分になったが、深く考えたら、やっぱり、なんとなくビキニのことが気になっていた。

江ノ島
こうして、3時ぐらいになってしまった。海水浴場からちょっと離れた所の海岸にそって、主人と散歩し始めた。遠くから見て、江ノ島がまるで緑が溢れた丘に見える。樹木の中、二、三件の建築物も建ててあるように見える。そこまで来たら、島に行かないと気がすまないだろうと二人は合意した。そしたら、大橋を渡って、島に着いた。思ったより単調ではなかった、観光客も多かったし、いろいろ小物商品の店舗も少なくなかった。大勢の人と同じように、階段を一歩ずつ上がって進んでいった。島の頂上は一軒の神社であった。結びの木、御神籤など、日本では全ての神社は大抵同じものだねという感じだった。 歩きながら、数多くの太り気味の猫を見かけた。面白い現象だなあと思っていたとき、道端である看板が目に入った。「江ノ島の猫は捨て猫です、これ以上不幸な猫が増えないように猫の避妊手術などのため、募金をお願いしたします。」その隣に当然募金箱もあった。その看板を読んだ瞬間、私は思わず噴出してしまった。一匹の猫が手術室に運ばれるようになるまでの間、こいつの子供たちは何回不倫していたのかしら、と私は想像した。捨て猫だから皆に猫を捨てないようにと呼びかけたほうがいいじゃないでしょうね。本当の募金なのか、それとも詐欺なのかよく知らないけど、とにかく面白いと感じて、へそが茶を沸かすほどになった。


二人は笑いながら、島の頂上から、別の道にそって、再び海辺まで辿り着いた。海風に向かって釣りをする人もいれば、岩石で蟹を取る子供もいた。岩石の端はすぐ深海のそばにあるから、険しく見える、それに波も激しい。それを見て、何気なく、福井県の東尋坊の険悪さのイメージが思い出された。江ノ島は東尋坊のように自殺の名所ではないけど、もし本当に自殺するなら、こっちを選んでも悪くないと思った。東尋坊に着いたら何となく突然やってくるぞっとするような寂しさを感じられるでしょう。ここだったら、樹木も多いし、死んだら、空中をぐるぐると飛んでいる鷹たちも悲しく鳴いてくれるのでしょう、少なくとも寂しくはないだろう、と私はつい自殺する人の心理までも想像してしまった。

ぐるぐる回る鷹たち
昔と同じように海に行くとつい子供みたいに海の中の小蟹、小エビなどを捕らえたりする。こんな小さい命は海から離れたらすぐ死んでしまうには違いないと分かっている私だが、主人の説得も聞かず、小さい命たちをペットボルトに入れて、持って帰った。当然、帰りの電車では、ほかの人に見られないように、ちゃんとバッグの中にしまいこんだ。やはり、私はいつまで経っても心が大人になってないみたいな気がした。結婚しても、将来子供を生んでも。
いろいろ不思議なことがあったが、今回の旅は意外に面白くて、楽しかった、ただ、一つ残念なこともあった。カメラを持っていかなかった事と携帯が充電不足のため、途中で電池が切れてしまった事。結局、取った写真は数枚しかなかった。でも、この心残りをきっかけに、今年の冬はもう一度ここへ遊びに来ようと主人と合意した。その際、是非灯台に乗ったり、民宿で美味しい海鮮料理を食べたりしようと今から計画を入れたくなってきた。

飛鳥II
その後、ある中華店で美味しい料理を食べてから、主人と散歩しながら、大桟橋まで至った。目の前に現れたのは日本最大な旅客船「飛鳥?」であった。それに乗って、食事をしながら花火を見るという特別イベントがあるらしい。もちろん誰でも乗られるわけではなかった。乗船のチケットを買うための行列を見るだけでうんざりとなった。「花火を見る時間より、チケットの買う時間のほうがよほど長いじゃないですか」と主人に愚痴を言った。でも、ディズニーランドのアトラクションを乗るときの気持ちがそれとドッコイドッコイかも、むしろディズニーのほうがもっと待ち遠しいと感じるでしょうね。

無料券をカバンの中に入れて、二人は赤レンガ倉庫あたりに向かった。まだまだ早いのに、陣取りの人々がすでに早々殺到していた。焼けるような熱い太陽の下にたくさんシートが敷いてあり、それは花火見る場所を確保するためなのだ。いちゃいちゃするカップルが多く占めていたが、本を読んだり、寝たりする人もたまに目にした。見ているうちにくつろぐ気分になってしまった。海風、日光、青空;雲霞、船舶、人ごみ。まるで風景画のようにみえる。「君ここはじめでだろう、せっかくだから、いろいろところ連れて回って見せようか」とそのとき主人が薦めた。それで、レンガ倉庫の中に入って、普段の店では見られない品々をたくさん見て回ってきた。思わず、あっという間にもう5時ぐらいになっちゃった。

花より団子ですが、花火より胡麻団子だろう。やはり、何かを食いながら、花火を見るのはより快適だから。コンビニで適度にお菓子とかを買って、大桟橋まで戻った。なんと、無料券をまた配っているのだった。今だったら、待たずにもらえるのに、わざわざ長い行列に並んで待っていたのを一体誰が想像したでしょうか。なんとなく騙されたような気がした。けちけちするところではなく、ほっといて、早速たもとである場所を確保した。その時、お日様も疲れたように、だんだんと下がってきた。ビル、船、観覧車…その全ては夕日に映えて、極めてきれいな景色となった…


いよいよ、花火の時間が迫ってきた。7時30分になると、パッと第一声が耳に入った。次第に人ごみから歓呼の声が一斉に盛り上がって、その次、まだその次。きれい〜、わ〜、すごい…と周りにこのような歓声が絶え間なく、ずっと最後まで続いていた。花火のパターンとしては、豊田にしろ、横浜にしろ、皆大体同じぐらいと感じしていたが、でも心境が若干違っていた。日本で初めて花火を見たのは約3年前の夏の豊田おいでん花火大会だった。一緒に行ったのは中国人に日本語を教えている日本人の先生だった。あの時初めて大規模な祭りに参加し、浴衣を着ている日本人の姿を見て、かなり興奮していた記憶がある。そして、大勢の人が訪れるあのような花火大会は、中国ではほとんど見られるものではないため、すっかり感動してしまった印象もある。今回の花火ももちろんとてもきれいで、心がすっかり癒されたような快適さを感じたのだ。でも、昔のような高ぶる気分になれず、ただずっとしんみりと花火を見つめていたのだ。やっぱり、ある程度日本のそういう文化に慣れてきたからだろうか。
最初、この物件を探すときに、私はよくインターネットで調べたり、現地調査をしたりしていた。この家は近くに図書館や、スポーツセンターや、学習センターなど、全て揃っていたし、しかも交通、ショッピングなどもすごく便利なところである。それで、主人を説得し、家賃の高いこともあまり気にせず、迷いなくここに住むことにした。
計画の通り、ほぼ毎日図書館に通うようにしている、そして、民間である日本語の教室にも尋ねるようにしている。図書館に行く目的はもちろん勉強することに決まっている。日本語の教室に行くのは勉強するためと言うより、むしろ友達を作るためと言ったほうが正しい。大和市では、日本人のボランティアから、日本語を教えてもらう民間組織がいくらでもあるらしい。それに、土日だけではなく、纏めたら、ほぼ毎日やっているぐらい。平日にもよくあるので、ボランティアの方は主婦、或いは退職した年配者の方がほとんどです。今まで、3箇所のところに行ってきた。8月に入ると全般夏休みに入るそうだ。というのは、これから行くとしても、9月頭からしかできない。幸いなことに、私が行った度に、どこでも夏休みまでの最終回とあって、ちょうど餃子パーティーであったり、お茶会であったりした。それに参加して、2,3人の中国人と知り合って、すぐ仲良くなれたみたい。「家へ遊びに来てね」といわれるぐらいまで誘われることもあった。それは絶対日本みたいな社交辞令ではないと判断し、さすが、日本人と大違いの中国人の同胞たちであろうとしみじみ感じた。
引越しも順調にできたし、生活も思う通りのまま過ごしている。けど、毎朝、主人が早く仕事に出かけて、夜遅くに帰ってきて、その間、私が勉強であったり、遊びであったり、自由自在に見られそうな毎日ではあるが、何かが欠けているとたまたま不愉快に感じていた。毎日の昼ご飯は一人で簡単に済ませる場合が多い。外食したかったけど、共稼ぎの時期じゃないから、何とか節約して貯金して万が一のことに備えないと…つい外食の回数を減らし始めた。たまに日本語の教室でおじさん、おばさんたちと勉強するが、なかなか共通なトピックが少なくてなんとなく退屈だなと感じていた。当然、今のところは何をやらないといけないという強迫的なことがない、そして、昔のように、納期に間に合うために、残業せざるを得ない時期でもない、言わば、仕事上のストレスがまったくなし、完全に自由の状態であるのだ。「では、なんでそんな不愉快な思いを生じただろう」と不思議に自分に問い掛けた。人は一体どんな生活をしたら、幸せそして満足するだろう。もしかして、仕事がなくなったせい?仕事をしなかったら、社会とのつながりが薄くなると同時に自分の価値も感じにくくなるだろう。「中国人は大半自己主張が強い、いわゆる常に自分の存在感を重視する」とよく中日異文化の一例として、挙げられるものだ。幸せに見える日本の主婦たちの生活が、私のような典型的な中国の女性に合わないだろうと疑い始めた。やっぱり、毎日忙しい仕事に追われてしまうほうがより充実と感じられるだろう。「でも、つらいよ、残業ばかりだし、また肩こりになるよ」と反論の声が耳に響いてくる。「仕事をしてもいいよ、でも大ピンチの時代だから、競争極めて激しいよ」、「こんな時代、勉強が一番、なぜかというと、どうせ難しいから、もっと力を蓄えて、競争力を強くして、回復する際によりいい職に就けるようにしたら」と友達にもこう勧められたことがある。それも確かに一理であるだろう。
考える考えるうちに、思わずこの間見た「Around 40」というドラマの主題歌の歌詞が思い出された。その一部は以下の通り:
Count what you have now, don't count what you don't have
Find that you have so much
ないものねだりしながら みんな迷って生きてる
大人になってからも
足元に咲いたきれいな花に気づくだけで
人はうれしい気持ちになれるのに
いつか胸の奥に抱えた ジレンマの迷路抜ければ
本当に大事なもの 知る日が来るだろう
どんな道を選んだとしても 悩みの数同じだけついてくる
私が決める私のプライオリティ 何を取って何を諦めるの
幸せの基準はかるものさし 自分の心の中にあるのさ
足りないもの数えるくらいなら 足りてるもの数えてごらんよ!
Count what you have now, don't count what you don't have
Find that you have so much
じっくり考えると、まさか人生はこの歌詞の通りじゃないかと私ははっと悟ったような気がした。われわれの人生が皆同じくいろいろ悩みと矛盾があるはず、幸せな人はいつまで経っても幸せのように見える、いつもくよくよする人は、どんなに良いことであっても、結局くよくよの状態に戻るだろう。だから、幸せはあくまでも一種の感覚に過ぎないだろう。どんなつらい仕事があっても、自分にとって、それが価値であると思ったら、それだけで満足すべきだろう。仕事がなくなって、どんなに寂しく、苦しく感じても、それはピンチをチャンスに変えるきっかけだと信じて、もくもく努力しつつ、絶対いつかに機会が訪れてくるだろう。そういう風に思えば、どんな時でも、文句を言わずに、幸せの一生を送れるだろう。万事が人の考え方次第なんだって。確か、足りないものがいくつかあるけど、歌詞のように足りているものを数えてみたら、案外山ほどあるんじゃないですが…私だって、不満があるわけないでしょうね。フフとひそかに笑ってしまった。
2009年7月20日
