改善、文字通り、変化させて、一層よくするという意味だ。言い換えると、現状を満足せず、絶えず自己を超えて、もっとよい状態を追求すると私はそう理解している。日本では改善という考え方は小さければ個人まで、大きければ企業まで、言わば隅から隅まで浸透されている。そう言われた日本人は多分あっけにとられたように「へぇー」と言うのだろう。日本人が普通だと思ったちょっとしたことでも外国人の目で見ると普通ではないということだ。
今の時期は世界経済のどん底状態であり、アメリカの大手自動車会社GMは金融の嵐に堪えず、結局破産して、再建するまでに迫った。日本の自動車大企業トヨタと本田は巨大な損失も当然あったが、GMのように破産するまでに陥ってなかった。危機に面して、体制や制度上にしろ、経営方式上にしろ、企業として、それなりの対応戦略を出しているのだ。例えば、ワークシェアリング制度の導入。全体的な労働時間を短縮すると共に、投資のコストが下がって行く。新型ハイブリッド車、低価格で、大衆を引き付けるなど。「そんなありふれた戦略なんて、普通の企業ではよく使われている手段じゃないですかとそう言う人もいるでしょう。確かにそうですが、その見慣れてきた方法のほかには何かをしたのでしょうか。いいえ、正確に言えば、何かをしているでしょうか。その答は、改善なのだ。
あるときの設計のことでした。製品の形状が深いため、コイル素材はプレスされた後の位置のバラつきが多かった。でも、これは最初の工程だから、バラつきが生じたところを後工程で全てカットするわけなので、最終製品においては、ちっとも影響がない。それにも関わらず、日本人の同僚たちはこの問題に対して、すごく真剣に考えていた。もしバラつきを小さくすることができれば、素材のサイズを小さくすることも可能だと指摘した。そしたら、いろいろ考えたうえ、最後に素材のガイドするためのゲージの形状と位置を直したりして、結果として、バラつきをある程度削減することができた。結局原素材サイズより10mm小さくなった素材を決めて、生産に投入した。当時は、日本人は本当にけち臭いなあ、10mmは1.5mである原素材に対して、ほんの1%にもなってないのに、わざわざ煩わしい設計変更を行うなんて、どんな意味があるのかと私は疑ったのだ。この疑問を解消するため、私は計算してみた。1m幅の素材の部品、月5000台とした車種に対して、一つ部品の素材を10mm小さくすれば、毎月50mのコイル材を節約できることになる。逆に小さくしなかったら、毎月50mmのコイル材を浪費することになるわけだ。長い目で見ると、例えば一年としたら、そして、一つ部品ではなく、全ての部品もこうしたら・・・まさかそんな巨大な数字になると思わなかった。それも当然会社の利益につながっているでしょう。このような日本人たちの改善に対する情熱的な心構えと態度に、私は何度も心服したことがある。例えば、生産時間の短縮及び人的ミスを防ぐためにプレス生産ライン再び自動措置を導入したり、改造したり、溶接ラインのロボットの軌跡を合理化するプロジェクトを行ったりすることなど。このような改善は、ある独裁者に必ずこうしないといけないと決して命じられたわけではない、会社の一人として、だれでもどんなことでも改善という概念を身につけて、習慣みたいに自覚的に取り込んでいる。
よくよく考えたら、いろいろ表から見て、利益にもならない、成果もでない仕事をこなしてきたからこそ、企業の絶え間ない壮大化に計り知れない貢献をしているでしょう。われわれにとって、小さくて取るに足りないことでも、一分一秒の微塵の争いでも、日本人として、煩わしいと思わなく、全て大事にして、改善に取り込んで行くでしょう。ちりも積もれば山になるという原理をもっとうまく現実に応用できるのは日本人だと私はそう感じた。
QCいわゆる品質管理、はじめは、アメリカで提出したコンセプトなのだが、現在において、日本のたくさんの企業では柔軟に、運用されている。これもまさに日本企業における高品質を追求するための改善活動とも言えるでしょう。中国人はいつも日本産の電気製品を愛用していますが、それは舶来品をありがたがるではなく、言わばそれは日本製の電気製品は品質が優れ、多様な機能があり、デザインの更新も早いという事実の証拠だろう。日本の街を歩きながら、整然とした町並み、四方八方に走っている交通機関、多種多様な自動化された施設などなどを目にして、それも生活レベルを高め、便利さを図る改善という意識の表現だろう。健康のことに気が付き、いろいろ健康グッズを作り出し、医療水準はどんどん上がっていて、誰よりも健康意識が高まっている日本人の寿命は世界一になったのも改善意識の結果ではないでしょうか。よく思い出せば本当に数え切れないほどの例を挙げられると思う。これまで述べたら、日本人はようやく、「あ~、なるほどね。」と認めようとするでしょうか。
例を挙げましょう。例えば、電車の中で他人の足を踏んだとしたら、日本人は考えもせずにごめんなさいという言葉は自然に口から出て来るでしょう。踏まれたほうもいいえと言ったり、或いはすみませんと言ったりするでしょう。靴が汚されたとしても、足が痛いとしても、相手を攻めることなく、お互い譲り合うように済むでしょう。日本人から見ると極些細なことだが、中国人はそれを大騒ぎにする傾向がある。まず、踏まれた人から「お前、めくらなのか、俺の脚を踏んだよ!」と踏んだ人に強く注意を払う。そうすると、「君こそ盲人だろう、わざとじゃないのに」と踏んだ人は言い返す。「言い訳すんなよ、早く謝りなさい」と踏まれた人は詫びを求ようとする。「そんなひどい悪口言われたのに、謝るわけがないだろう、お前馬鹿みたいだね」と踏んだ人は反撃する。「おっ、喧嘩でもしたいのか?可愛がってやるぞ」と踏まれた人はさらに攻めて行く。「なめるなよ、俺の拳の強さを実感したかったら早く言えよ」…と続々挑発的な言葉を吹き飛ばす。つい口喧嘩から、殴り合いすることまでに至った。こんな会話を聞いた日本人はどう思うでしょう。どうもやくざや、暴力団ぐらいしかに聞こえないと思うだろうね。もしかして、お笑い番組のシーンなのかと思う人もいるだろう。要するに、普段の人間だったら、そんな理不尽な言い方をしないのだ。その場面は私がちょっと誇張して作ったものなので、皮肉が混じっていたが、決して中国人の全てはそうだとは言えない、この辺をわかってもらわないと誤解が生じるかもしれない。二人のモラルの悪い中国人があるところで偶然に出会ったら、こんな悪態度になりやすい。誇張したと言っても、中国ではそれはとってもありえる現実のシーンである。上手に言えば、それは、中国人はよく自分の存在感を強調するという民族性の表れの一つだと思う。
人は生まれてから、自然と周りの環境に馴染んでいく、何気なくそのまま昔からずっと続けてきた伝統というか、習慣というかに従い、そして何気なくその国の民族性を引き継いでいく。丸ごと引き継ぐではなく、何気なく変化しながら、引き継いでいくような感じ。どんな国でもそうでしょう。人間の存続することによって、文化というものが成りたてられてきたのだ。それは歴史の産物であり、貴重な財産となるでしょう。文化があるからこそ、世界のもろもろのことが面白く感じられるのでしょう。だから、こんな習慣はよくない、そんな民族性はやばいなど評価をする必要がないと思います。日本だからこそ、そういう風習がある。中国だからこそ、こういう習慣がある。それは文化という。それで世界が生き生きとして美しくなる。言葉を学習するには、文化のことを無視してはいけないと私は思う。時たま文化のことを気に留めたら、案外その醍醐味を味わいたくなる。
今日、静岡県の裾野市にやって来ました。旅行ではなく、仕事のためです。これから、二三ヶ月間は全て裾野市の会社の寮に住むことになるのです。車を持ってない私は裾野市に行くには電車に乗るしかなかった。会社はJRの岩波という駅の近くである。午後2時ごろ、大和駅から出発し、小田急線で、相模大野駅まで行って、そこで小田原行きの電車に乗り換え、さらに新松田駅まで行った。そこからJRの御殿場線に乗って、約50分間がかかって、岩波駅に無事到着した。トータル乗車時間は2時間ぐらいだった。


相模大野駅を過ぎて から、窓外の風景がだんだんと田舎ふうに変わって、山と畑が主な景色となってきた。長いトンネルを何回も潜ったようだった。JR松田駅では、既に自動改札口のない状態であり、ホームに上がる際、エレベーターもなかったし、エスカレーターもなかった。重いスーツケースを引っ張っている私は階段の所に来て、足が止まった。思わず「参ったなあ。」と呟いた。「大丈夫?一緒に持ちましょうか?」とそのとき、ちょうどうそばに通りかかっていたある40歳前後の女性が私に声をかけてきた。私はもう一個スーツケースを持ち上げて、階段を上ろうとした主人を指差して、「大丈夫です。一緒ですから。」と告げた。そうすると、あの女性は私に微笑んで、「あ、そうですが、失礼しました。」と私に軽く頷いて、階段を上がった。主人のお陰で、ケース二つとも無事にホームに入った。電車を待っている数少ない人たちの中、反対路線の電車を待っているあの女性の姿を再び見かけた。彼女の目線がこっちに向いて、また微笑んで、「大変でしたよね。」と馴染み同士の口ぶりでこう言った。昔岡崎に住んでも、刈谷市に住んでも、また大和市に住んでも、見知らぬ人にこんなに丁寧に声をかけてもらったことは恐らくいまだ一度もないかしらと私は思った。そのとき、彼女の親しさと自然に現れたニコニコした笑顔に私の心は動かされた。この駅は本当に小さくて、構内と言っても、周りは柵も設けていないままの状態でした。遠くの山と山麓に建てられた何軒かの部屋をはっきり見ることが出来た。その素朴な風景とその女性が何か関連があるような気がした。素直な自然と素直な人間、とってもふさわしいと感じていた。こんな親切に声をかけてもらったのに、一つの感謝の言葉も出せずに逆に向こうから「失礼しました。」と言われた私は自分の鈍い反応に対して、とても情けないと思った。そうすると、私は口元にチラッと微笑を浮かべるようにして「先ほどご親切に、ありがとう!」とあまりにも小さい声でこう言い出した。友好的な微笑にしたかったが、なんとなく自分の笑顔にわざとらしい気がした。あの女性の笑顔にいくらか見劣りがしただろうと私は感じた。

岩波駅に着いたときはもう午後5時前だった。二人は早速、地図を見ながら、会社の女子寮を向かった。寮はすぐ東名高速道路のそばにあるため、探すにはあまり苦労をしなかった。寮の管理人さんは二人五、六十歳に見える男性だった。彼らは寮の手続きと部屋の案内をしてくれた。その間に、私たちが中国人ということにすごく興味が持ち始めたようで、私たちの故郷などについて、いろいろ聞いたりした。そして、部屋の電気の使い方とかもより詳しく教えてくれた。もし私たちが日本人だったら、多分「この二人うるさいね、こんなの誰でも知っているはずなのに、馬鹿にするなよ」と思うかも。私たちが外国人だからこそ、より明白に理解してもらうために、わざわざこうして、そこまで説明してくれた管理人さんに対して、私たちは何の違和感もなく、ただ黙って聞いていた。その後、さらにこのあたりのスーパーの場所や、出かける方法などいろいろを教えてくれた。本当に至れり尽くせりでした。二人のお陰で、最初心に抱えていた異郷での不安感もすっかり消えてしまった。これは、今日で見えてきた二回目の友好の光でした。
その後、周りの環境によりよく通じるために、主人に伴われ、散歩に行った。このあたり本当に静かだが、たまたま小規模の居酒屋も目にした。ちょうどう晩御飯の時間になって、どこに食おうとしたら、私が突然ある山を見た。「あれは富士山じゃない?」とあの山を指しながら、主人に質問した。「あれ、見えるね、でも断言できないなぁ。」と主人が言った。今日電車の中で静岡県に入ると確かにたくさん山を見かけたが、あれだけ頂上のところが火山口のように見えていた。ちょっと曇っていたので、私も断言できなかった。そうすると、それを確かめるために二人はすぐそばにある「清竹すし」という店に入った。注文したのは焼肉定食とざるそばであった。定食なのに、1000円近くもするなんて、ちょっと高いなあと思った。キャベツサラダの上に焼肉、その上まだ一つ半熟卵があった。一杯の味噌汁プラス四分の一丁の豆腐とつまみキムチ。白ご飯もたっぷり盛り上がっていた。口にしたら、どれでも美味しくて、新鮮の味と感じた。食べ終わるところで、女将さんがさらに一杯の茶碗蒸しを出してくれた。お腹も一杯でしたが、茶碗蒸しの美味しさに耐えられず、無理やり全部胃袋に運び込んでしまった。それぐらいの量とうまさだったら、1000円でもそんなに高くないなあと思った。食べ終わって、お金を払うとき「先ほど、外である山を見かけましたが、あれは富士山ですか?」と女将さんに聞いた。「そうですよ、今の時期頂上では雪が積もっていないですよね。」と女将さんが答えた。ああ、やっぱり私が思った通りだった、何気なく、得意になって、「ここは料理も美味しいし、富士山も見られるし、いいですね。今度また来るかもしれないなあ」とついつい店をほめるようになった。「日本語お上手ですね。よかったら、またいらっしゃい…」と女将さんは突然こんな言葉を口に出した。へぇー、たくさん喋っていなかったのに、どうやって私たちが外国人ということを知っていただろう?やっぱり発音が変なのか?!ばれちゃったか?と不思議に思った。そのとき、女将さんと近くにずっと座っていた男性に微笑んで目を合わせた。なるほどね、隣の男性はお客さんではなく、女将さんのご主人でした。先ほど私と旦那がいろいろ中国語を話したとき、彼が居合わせたから、私たちは日本人ではないということに気が付いたのだ。最初から、最後までお客さんは私と旦那二人しかいなかったこの小さな店では、今日の第三回目の友好の光が見えた。

店を後にして、主人に私は寮まで見送られて、自分ひとり電車で大和市に戻った。来週月曜日、裾野市での3ヶ月間の仕事が始る。主人のお陰で、今回の仕事が出来るようになって本当に心から深くありがとうと伝えたい。離れるようになって、多少寂しいと感じるかもしれないが、こんな景色の素晴らしいところ、そして心の美しい人々に恵まれて、私は絶対今回の経験を大事にし、自分の能力を十分発揮して、充実かつ収穫であるような毎日を送るように努力すると決心した。なんか、こんな遅い時間まで起きていてこの文章を作り上げるなんて、どれだけの興奮状態になったのが分かったでしょう。もう23日の2時だ!確かに、興奮しすぎているかもね。ここで寝ようか。
