振り返って、過去の一年が私にとっても、主人にとっても大変変化の大きい一年でした。
でも、何とか全てを乗り越えてきたので、
私達を支えてくれた友人と家族に、そして、神様に心から感謝します。
帰国するまで、あと4日。
中国にいる親友と再会することが出来ると思って、今とてもわくわくしています。
一方、日本にもう戻らないかもしれないということを思うと切ない味が胸から湧き上がり、
本当に表現できない複雑な今の気持ちである。
2010年はもっと変化が大きい一年になると私が予想しています。
どんなことであっても、常に前向きになって対応して行こうと覚悟しています。
輝いている夢を早く叶うよう、そして平和かつ前進の一年であるように祈ります。
最後に皆様のご健康とご多幸をお祈りいたします。
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
クリスマスが近づいてきて、大和市各所の日本語教室で、いろいろイベントをやりはじまった。
よく通っている教室は先週日曜日に国際交流会が行われた。
参加者は教室に通ってる外国人とボランティアの日本人の先生たちであった。
私は生徒の一員として、参加することになった。
生徒と言っても、この何ヶ月の間、一回も休まずに通いたかったけど、
仕事をしたりして、結局通った回数は4、5回しかなかった。
教室では、日本語レベルによって、クラスが分けられています。
そして、先生の方が皆教師の資格を持ってるらしい。
いつも、楽しい授業を目指し、交代で教えてます。
第7クラスはレベル一番高いクラスだと言っても、日本語1級試験に合格した人が僅かしかいない。
それも当然だろうね。取った人は来る必要がないと思って、やめたかもしれない。
もう1級資格を持ってるから、わざわざ来なくてもいいよと言われたこともあったけど、
試験はあくまでも客観的な問題しか出さないから、言葉の運用は聞く、書くことだけではなく、
自分の意思を正確かつ自然に相手に伝えることが一番大事だと思う。つまり、交流が一番。
交流と言うのは、どうしても二人以上じゃないとできないわけですので、
だから、その場を借りて、よりよく日本人と交流するため、そして友達を作るために私が来たわけです。
今回は交流会と言っても、あまり交流をしてなかった気がした。
するつもりだったが、残念ながら、そうしてくれる人が何人の中国人しかいなかった。
ただ、たくさん人が集まり、その場で、みんなから出したお金で買ったものを食べたり、ゲームをやったりした。
踊りと歌の演出も一応あったけど、あんなレベル低い演出する人が舞台に立つことだけでさすが勇気があるだろうと思った。
歌の調子があまりにもはずれすぎて、みんなを笑わせるつもりではなったけど、
爆笑が起こるぐらい面白い効果であった。
演出者を馬鹿にするところでなかった、皆が目を合わせ、ひそかにふふとするしかなかった。
さすが大胆な外国人たち!
楽しいというか、つまらないというか、とにかく、
日本の各地にあるこのような民間機関に感謝すべきだと思う。
中国では人口の割りに、外国人の数が少ない。
私の故郷では外国人に親切に指導を与えるボランティアの組織がいまだに恐らくないだろうなあ。
来年帰国して、いつ頃日本に戻るかを分からないですが、
今回の交流会は最後になるかもしれないので、 7クラスの皆と一緒に写真を撮った。

皆さん、来年はいい年になりますように頑張ってね!
二人とも中国の内陸地方で生まれ育ったから、海と聞くとすごく新鮮な感じがする。日本に来る前に、上海の外灘が私にとって初めての海であった。あれも十何年前のことだろう。でも、主人ときたら、もっと可哀そう。日本に来る前日、長春から大連まで飛んでいって一泊してから次の日に日本にきた。そのやむをえない乗り換えの一泊のお陰で主人にとっては初めての海を見る機会となった。当然、あの時私も一緒にいた。まだ恋に燃えている未熟な子供のようであった。あの大連の海はすでに4年前のことであったが、思い出すとまるで昨日のことのようにはっきり覚えている。光陰矢如きというのはちょっと誇張したかもしれないが、それを言っていた人の心境がよく分かったような気がした。
夏の海と言ったら、ビキニ美女を思い出す。冬の海の特徴は何かしら?水泳とダイビングはちょっと寒いでしょう、サーフィンと釣りならいつでも出来るし、と思っても思いつかなかった。海岸に着いてみたら、サーフィンする人の姿がほとんどであった。冬と言っても、全然寒気の感じがなくて、日差しの暖かさに包まれて、ポカポカで感じ。近くに住んでいる人たちがみんな自転車できていた。普通の自転車ではなく、右側にサーフィンボードが載せられる構造に改造された専用の自転車のように見えた。もちろん、主人と私はそういうような娯楽をしたことがない、できるわけもない。でも見るだけで楽しい気分になっていた。砂浜と離れて弱100メートルの道路の向こう側、10階ぐらいであるマンションが何棟も聳え立っていた。こんな海から近いところに住んだらどんなに心地よいだろうと目を閉じて、海岸生活の愉快さを頭で瞑想していた:ワンちゃんを連れて砂浜で足跡を作りながら、海の音が耳にし、水泳、釣りなどはもちろん、夕方になるとマンションのベランダでお酒を飲みながら、夕日に映えた海を眺め、どんなに素敵だろうと想像しただけで、ワクワクしちゃいました。
風がほとんどなかった。暖かい日光を浴びながら、砂浜で主人と散歩をしていた。柔らかい砂の上、私たちの可愛い足跡がたくさん残っていた。長く伸ばされた二人の影を見つめ、思わず一斉に笑い出した。こんなゆったりした気分になったのは本当に久しぶりのことであった。海は、二人にとって、神秘な存在であり、憧れの対象でもある。海に着くたびに、楽しさの溢れた主人の無邪気な顔を見ることが出来、むしろ、主人が無邪気な顔になるのは海という場所に限っているとも言えるほど。その顔は私にとって、何よりのいい景色であった。

島に至る弁天橋を渡り、灯台に向かって、階段を登り始めた。200円をかけて、エスカレーターを利用すれば、すぐ灯台までいけるのだが、やはり、自分の目でこの島の冬の姿をもう一回確かめたいと思い、歩いて行くことにした。風景は夏のときとほぼ同じ、平日なので、遊覧客の数が多くなかった。それに、季節のせいかもわからない、野猫たちの姿も少なくなり、きっとどこかで寒さを忍んでいるのでしょうね。
やっと灯台に着いた!ゆっくりと歩くつもりだったが、どうしてもしんどさを感じていた。たった一ヶ月の主婦生活なのに、筋肉が大量に脂肪に変わった末、体力が落ちたという事実は今回の旅を通じて証明することも出来た。早速チケットを買い、灯台の頂上まで登った。もちろん、さきとまったく違う素敵な風景であった。それに心を打たれ、頬をなでるそよ風の中、無我夢中で写真を撮っていた。

4時頃、灯台から降りて、夏のときと同じルートで島の海岸まで至った。ここは砂浜ではなく、岩礁が集まった浅瀬である。岩窟もあるが、4時以降はもう立ち入り禁止と決まっていたから、残念ながら、入り口付近でうろうろするしかなかった。ふと気が付いたらここから見た景色の素晴らしさに一瞬、目を奪われてしまった。これも生まれて以来始めての絶景の海であった。まさかこの島から、富士山を見られるのは思ったこともなかった。当然、距離が遠いため、細かいところまで観察できなかったが、夕日に映えた富士山の輪郭がとても目立っていた。日が暮れると伴に、映えた空の雲・海・遠くの山それぞれの色も微妙にシルバーから紫まで変化していた。まるでミステリアスな世界に連れらたような雰囲気であって、興奮の余り、再び撮影に夢中になってしまった。


海でこんなに心を癒されたのは今回初めてであった。少々冷え込んできたが、日が完全に沈むまで、二人はじっとその景色を眺めていた。その後、来たときと同じ道で戻り、途中で人気を呼んでいる蛸焼煎餅の店で丸焼き蛸煎餅を食べて帰った。それで、この文章を作り、早速ネットにアップしようと思っていた。日本に来て、行った海は名古屋港、沼津港、横浜港、蒲郡、東尋坊何箇所の海に限られていたが、やはり、今回江ノ島の海は最高でした。
