今日は中国の春節です。 (バレンタインデーと重なって、二重の意味がある。)
少しだけ中国新年のことについて、みなさんに紹介したいと思います。
春節は中国人にとって、もっとも大切な節句です。
簡単にいえば、旧暦のお正月のことです。
時間から見ると、中国の春節の祝いブームが1カ月間以上も続く。
大晦日、親戚が集まって一緒にする食事のことは中国語で年飯と言うのです。
年飯のために、各地で働く人々が大晦日までには必ず実家に戻ってみんなと再会する。
だから、大晦日の前の一週間ぐらいは中国の鉄道機関にとってもっとも忙しい時期となる。
年飯に対して、年貨と言う言葉もある。つまり、新年に使ういろいろな物のこと。
食べ物は何よりたくさん用意しないといけないだが、
そのほか、爆竹、春聯、提灯など飾りものも欠かせない。
もちろん、食べ物は家族みんなだけのためじゃなくて、来客までにも用意しないといけないだ。
だから、大晦日の前に年貨を買うのは大規模な活動みたいに全国各地で行っている。
商社にとって、そのときは一番利益を得やすい時期とも言われている。
4年ぶり家族と一緒に過ごす新年、やっと来たって感じ。
懐かしくて、楽しかった。
時代が移り変わって、今になっては、ホテルとして使われているようだ。
4つ大きな赤い灯篭をあげられて、いかにも、新年の雰囲気だ。
(ちなみに、北京の王府井、上海の南京路、天津の和平路、ハルビンの中央大街、武漢の江漢路5つの場所は中国大都市の「5つの金花」と称されているようだ。)
武漢は中国中部の湖北省の省都で、現在900万近くの人口数を持っている。中国では、比較的に大きい内陸都市である。上海、北京、広州より有名ではないので、あまり日本人に知られていないかもしれないでしょう。近年、政府の力がだんだんと沿岸都市から、中部地方に移ってきたようで、これから、武漢市はもっと発展させられていくに違いないと思う。
武漢は私の生まれ育つ町だから、その都市の移り変わりをずっと幼い頃から見てきたのだ。10何年前のとき、つまり私まだ小学生のとき、武漢の人口数はそんなに多くはなかった。出かけると畑と池ばかり目にした時代でした。通学のとき、いつも2、3人の仲間と一緒に歩いて学校に行ったりした。途中で、畑のあるところで、かわいい蝶々とトンボの姿が絶え間なく、飛んでいた。時々捕まえたりもして、気がつかなかったら、授業に遅刻したこともよくあった。あの頃、夏になると、毎晩カエルの鳴き声がよく一斉に響いて、仲夏の定番曲であった。放課後に池でオタマジャクシをたくさん捕まえて、家に持って帰ったこともある。そしたら、「オタマジャクシが成長したらカエルに変わるよ。カエルは畑の害虫の天敵だから、カエルの子供がこうして、あなたに殺されたら畑に害虫いっぱい増えて、大変なことになるよ。」とあのときの母の叱責が今だにまだ印象に残っている。
ちなみに、あの時代は電気製品と言ったら、テレビ、洗濯機、冷蔵庫をさえ持っていれば、相当経済レベルの高い家庭のイメージであった。パソコンとエアコンは普及する前に夏夜の過ごし方としては、家族が揃って、よく芝生で散歩したり、あるいは隣近所の人が集まって、外で世間話をしたりすることであった。あの頃のもろもろを思い出すと、とても懐かしいと思った。今の武漢では、こう言ったような風景がいつの間にかすっかりなくしてしまったようだ。昔住んでいた所はカエルの鳴き声のところが、畑と池の影すら見かけなくなった。その代わりに、たくさんビルが雨後の竹の子のように現れてきて、商業も、工業もますます発展し続けてきた。
1955年建築した武漢長江大橋は長江の南北交通に重要な役割を果たしていた武漢最初の長江の橋だ。あの時代において、あまりにも盛大な工事なので、1955年生まれの人がよく「漢橋」という名をつけられた。つまり、武漢の大橋の竣工を記念に意味して、名前を付けたということだった。あれ以来の40年の間、長江を渡るには遠回りして、大橋を渡るか、一番近い渡し場の船に乗って渡るかの方法がしかなかった。船にすると距離を縮めたが、時間的に遅かったし、天候によって、欠航の場合もよくあった。だから、この何10年ぐらい、二橋、三橋…七橋まで次々と作られてきた。つい近年、「万里の長江の第一トンネル」と称される武漢長江複線トンネルが貫通した。交通さらに便利化されてきた。最近、世界最速と言われる中国の武漢と広州の間の高速鉄道は最大高速350kmにも至った。それは武漢人とっての誇りでも言えるのでしょうか。
しかし、都市の発展につれて、人口数が年々増えつつある。自動車、バイクの量も一層大きくなって、交通事故や渋滞などは日常茶飯のように毎日起きている。そして、都市建設のため、緑地の面積がどんどん減っている。ますます増える車の排気ガスが植物に吸収できず、埃と混じって町の隅から隅まで漂っている。大気汚染のせいで、肺炎、肺がんになる患者数が往年より増えたことも事実である。
武漢の発展は成長中の少年にたとえたらいいと思う。発展とともに、いろいろ避けられないことがついつい浮き上がってきた。よく量と質や、精神と物質などの内部的な矛盾ができて、外部から更にあれこれと指摘されることが起きている。それでも、ちっとも動揺しなく、大胆に前に進んで行っている。それこそ発展途中と言うのでしょう。反抗期は少年にとって、避けられない時期だ。その時期になると、よく親や教師に逆らって生意気なことを言ったり、突拍子もないことをやったりして、精神と行動が非常に不安定だ。でもそれこそ成長と言うのだろうか。武漢は今まだ未熟の少年みたいだ。これから、成人式を向うために、元気いっぱいを出してラッシュしている。でも若干力を出しすぎたかもしれない。どんなに頑張っても、一瞬に少年から成人になるのは無理なことなので、慌てずに、バランスよく、一歩ずつ着実に進めばいいと思う。でも、少年期だから、耳に逆らう言葉はあまり効かないだろうね。まあ、このまま成長して行くうちにいろいろことに意識していくのでしょうね。武漢が立派な「成人」になるのを楽しみにしているが、あまりたくさん遠回りにならないようだけを願いたいです。私は年寄りになる前にかなり成熟された武漢を目で見てみたいんだ。頑張れ、武漢!
10日の夜、無事に故郷に到着しました。急に言葉の環境が変わって、なかなか慣れにくいみたい。思わず間違って中国人に日本語のすみませんと声をかけたことが何回もあった。どうして反応してくれないだろうと思ったら、あっ、もう中国にいるんだとすぐに気が付いた。意識をしていながらも「謝謝」の代わりに「どうも」と言ったりするときがよくあります。完全に中国語に馴染んでいくのに時間が必要でしょうね。完全になれたら、今回再び日本に戻る際、碌な日本語を喋れなくなる恐れもある。もともと碌に喋れないけどね、努力しないと更に後退してしまうだろうね。だから、この場を借りてなるべく日本語を忘れないように地味に頑張るしかありません。
空港に到着する際、一番気になることがやはり空気の質である。そういう話を親に言うと、「今日は霧だからね、しようがないわ」と言ってた。空気の質が悪くなったからこそ霧になりやすいでしょうね。空気の中に漂いてる埃が目に見えないけど、ちょっと遠いところを眺めるともろもろが曇ったように見える。そして、青空とはっきりした曇りが見られない。ずっとこんな環境に住んでる親と親戚たちがその状態もうすっかり慣れてたらしい、でも、日本から戻ってきたばかりの私がそれに対して、なんとなく恐怖感を感じている。
両親が空港まで迎えに来てくれました。運転手さんは父の友達であった。家に着いたら、運転手さんに「謝謝(ありがとう)」を言いながら、自然にとお辞儀をしてしまった。それを見ていた運転手さんがぱっとふき出して、中国語で「はは、ここもう日本じゃないよ、君すっかり日本人になったのか、お辞儀などをやめてよ」と言われました。このようなカルチャーショックみたいな場面がこれからたくさん出てくるに違いないと思う。異文化のことは今こそ一番発見しやすいでしょうね。
帰国しても、毎日暇なわけではない。時間の余裕があれば、武漢のイメージを少しずつみんなさんに紹介して行きたいと思います。今回は武漢空港の写真を載せます。いかにも霧に包まれたような感じでしょうね。

もう一枚の写真は上海の浦東空港で撮った2010上海万博のマスコットである。日本の方は時間があれば、中国へいらっしゃってください、今年こそ最高のチャンスとなるかもしれないので、ぜひ見逃しないでください。



